それでは、早速、具体的な例で、DNAの塩基配列、タンパク質のアミノ酸配列、立体構造、機能を見ていくことにしましょう。身近な例として、 ABOの血液型を取り上げました。遺伝情報を理解する上で必要ないろいろな要素が含まれており、格好の例といえるからです。
自分のABO血液型にこだわるのは世界でも珍しいといわれる日本人ですが、おかげでその遺伝形式についてご存じの方が多いと思います。ABO血液型の遺伝 子にはA型の遺伝子、B型の遺伝子、O型の遺伝子があります。図5.1の右側に示したように、わたしたちは両親それぞれから血液型遺伝 子を受け継ぎますから、ABO血液型に関しても2つ遺伝子をもっています。そして、AAあるいはAOともつ人はA型、BBある いはBOをもつ人はB 型、OO ともつ人はO型、そしてABをもつ人がAB型となります。ちなみに、A型とかB型という個体の性質として観測される形質のタイプを表現型、AAとかAOという遺伝子の組み 合わせを遺伝子型といいます。したがって、AOとBOという遺伝子型では表現型はそれぞれA型、B型となり、O型遺伝子の形質が顕れないといったことがあるこ とには注意しておく必要があります。この例では、AとBはOに対して顕性、あるいはOは AとBに対して潜性であると表現されます。
(注)従来は、顕性および潜性はそれぞれ優性、劣性と表現されていました。しかし、優性、劣性という言葉は遺伝子に優・劣があるという誤解を招きやすいため、それぞれ顕 性、 潜性とよぶことが現在では推奨されています。あくま でも遺伝子のもつ形質が顕れるか、潜んでいるかの違いであることを強調するためです。(これには、「多様性」の重要性が認識されてきたことも背景にあると思います。ある遺 伝子に複数のタイプがあるとき、正常と異常とに分類してきたものを、「多型」として捉え、どちらもその人の個性と捉えるようになったのも、そうした背景だと思 います。)
ABO血液型は、赤血球の表面に露出している物質の違いによって生じます。図5.1に模式的に描きましたが、O型のH型糖鎖を基本とすると、そこにN-ア セチ ル-D-ガラクトサミンが結合したものがA型糖鎖、ガラクトースが結合したものがB型糖鎖で、血液型がO型、A型、B型であるとはその型の糖鎖が赤血球表面に 露出していることを意味します。AB型はA型糖鎖とB型糖鎖両方が露出しています。これらの違いにより生理学的には何が違うのか、すなわちABO血液型の役割 につ いてはよくわかっていません。
ところで、血液型の遺伝子から作られるのはタンパク質です。しかし上記の血液型を決めている糖鎖はタンパク質ではありません。実は、ABO血液型の遺伝子 から 作られるのはA型糖転移酵素、B型糖転移酵素などとよばれるタンパク質で、A型糖転移酵素はH型糖鎖にN-アセチル-D-ガラクトサミンを結合させる化学反応を触媒し、B 型糖転移酵素はH型糖鎖にガラクトースを結合させる化学反応を触媒します。となると、O型はもともとH型糖鎖だけですから、O型糖転移酵素は何をするのでしょ うか?これについては、後でお話します。
ABO血液型の遺伝子の塩基配列、そしてそれに対応するアミノ酸配列を 別 のページ に示しました。下には、A,B,Oを比較する上でポイントとなる部分だけを取り出して示しています。最初の2つのパネルはA型とB型を 比較するためのもの、その下の2つは、A型とO型を比較するためのものです。
各段の上の行は塩基配列、下の行は対応するアミノ酸配列(一文字表記)を示しています。各行の最初の数字は、その行の最初の塩基、あるいは最初のアミノ酸 の通し番 号です。
A型
* 481 cgcgtgacgctggggaccggtcggcagctgtcagtgctggaggtgcgcgcctacaagcgc 161 .R..V..T..L..G..T..G..R..Q..L..S..V..L..E..V..R..A..Y..K..R. * 661 ggcgtggagatcctgactccgctgttcggcaccctgcaccccggcttctacggaagcagc 221 .G..V..E..I..L..T..P..L..F..G..T..L..H..P..G..F..Y..G..S..S. * * 781 ggcgatttctactacctgggggggttcttcggggggtcggtgcaagaggtgcagcggctc 261 .G..D..F..Y..Y..L..G..G..F..F..G..G..S..V..Q..E..V..Q..R..L.B型
* 481 cgcgtgacgctggggaccggtcggcagctgtcagtgctggaggtgggcgcctacaagcgc 161 .R..V..T..L..G..T..G..R..Q..L..S..V..L..E..V..G..A..Y..K..R. * 661 ggcgtggagatcctgactccgctgttcggcaccctgcaccccagcttctacggaagcagc 221 .G..V..E..I..L..T..P..L..F..G..T..L..H..P..S..F..Y..G..S..S. * * 781 ggcgatttctactacatgggggcgttcttcggggggtcggtgcaagaggtgcagcggctc 261 .G..D..F..Y..Y..M..G..A..F..F..G..G..S..V..Q..E..V..Q..R..L.A型
* 241 aggaaggatgtcctcgtggtgaccccttggctggctcccattgtctgggagggcacattc 81 .R..K..D..V..L..V..V..T..P..W..L..A..P..I..V..W..E..G..T..F. 301 aacatcgacatcctcaacgagcagttcaggctccagaacaccaccattgggttaactgtg 101 .N..I..D..I..L..N..E..Q..F..R..L..Q..N..T..T..I..G..L..T..V.O型
* 241 aggaaggatgtcctcgtggtaccccttggctggctcccattgtctgggagggcacattca 81 .R..K..D..V..L..V..V..P..L..G..W..L..P..L..S..G..R..A..H..S. 301 acatcgacatcctcaacgagcagttcaggctccagaacaccaccattgggttaactgtg 101 .T..S..T..S..S..T..S..S..S..G..S..R..T..P..P..L..G..終止A型とB型を比較すると、塩基配列で4か所の塩基が異なります。最初から数えて 526、703、796、803番目の塩基です。この塩基の違いによって、タンパク質のアミノ酸に翻訳すると、それぞれ対応するアミノ酸の種類が異なってきます。すなわ ち、 アミノ酸配列の176、235、266、268番目のアミノ酸が異なります。A型糖転移酵素、B型糖転移酵素はともに354個のアミノ酸からできていますが、互い に比べ るとこの4か所だけが異なるアミノ酸配列をもつことになります。この2つの転移酵素の立体構造はよく似ているのですが、この4つのアミノ酸が異なるため、H型糖鎖 に何を結合させるかという機能が異なっているのです。(このページの最後、付録にある「A型糖転移酵素の立体構造」を参照)
次にO型遺伝子の塩基配列を見てみましょう。A型と比較してみます。A型の261番目の塩基 g がO型では欠失しています。違いはそれだけです。しかし、塩基配列は3塩基ごとに区切って対応するアミノ酸に翻訳されますから、一つ欠失するとそれ以降のアミノ酸配列がA 型とはがらりと変わってしまいます。しかも、塩基配列の区切り方がずれたため、この例では終止コドン taa が現れ、アミノ酸配列でいうと、117番目で突如アミノ酸の連結が中断されるという事態が発生しています。以上をまとめると、図5.2のようになります。
ところで、O型糖転移酵素のA型、B型との違いは何を意味しているのでしょうか。それは、O型の遺伝子からは機能をもったタンパク質が合成されないことを 意味していま す。こうした遺伝子を偽遺伝子(ぎいでんし)とよびます。O型が、H型糖鎖に何も付加されていないということは、何かを付加する能力を失っているから、という ことがこれで理解できます。また、遺伝子の組み合わせ(遺伝子型)がAO、BOの人はそれぞれA型、B型になるのは、それぞれA型遺伝子、B型遺伝子が機能 し、O型遺伝子が 機能していないから、ということも理解できると思います。(これに対して遺伝子型がABの人は、A型遺伝子もB型遺伝子も働くため、A型糖鎖もB型糖鎖も結合することにな ります)。O型の人にはちょっとショッキングな事実に見えるかもしれませんが、実はたいした問題ではないことは後でお話します。
われわれはヒトという同じ種に属していますが、一方で遺伝的個性があることも明らかです。したがって、互いにDNAの塩基配列を比較してみれば、当然ながら 違いがあります。平均して、ヒトの場合、0.1% 程度の違いがあると推定されています。ちなみに、チンパンジーとは 1.23% 違っています。
どんな違いがあるかというと(図5.3参照)、一つは、A型とB型の遺伝子のように、塩基が置換している場合です。この場合、対応するアミノ酸が変わることもあるし、変 わら ないこともあります。変わらないのは、前回の講義で述べたように、一つのアミノ酸に対応する3塩基からなるコドンが複数あるため、塩基が1つ変わっても同じア ミノ酸がそれに対応することがあるからです。ちなみにアミノ酸が変化する置換を非同義置換、変化しない場合は同義置換とよびます。
もう一つは、塩基が欠失したり、逆に挿入されたりしている場合です。こうした場合、塩基配列を3塩基ずつ読むという読み枠がずれるため(フレームシフトとい います)、対応するアミノ酸配列ががらりと変わってしまいます。(A型からO型を見ればO型に欠失が、O型からA型を見ればA型に挿入が起こったということ になります)
置換・欠失・挿入は、同種間の個体で比較すると、多くの場合、単独の塩基で起こっており、SNP(スニップと読みます)とよばれます。Single Nucleotide Polymorphism(単一塩基多型と訳されます。直訳すれば単一ヌクレオチド多型です)の略称です。しかし、実際にはもっと多くの塩基が連続して欠失・挿入するこ ともしばしば起こります。自分と他人を比較した場合、平均して0.1%の違いがあると述べましたが、ヒトのゲノムは30億塩基対からなりますから、ざっと 300万箇所のSNPがあるということになります。そしてこのSNPこそ、遺伝的個性を生み出す要因なのです。他人と遺伝子が違うといっても、このように、多 くの場合、 1つの遺伝子について1つから、せいぜい数個のSNPがあるかないかという違いであって、まったく異なる塩基配列をもった遺伝子をもっているとか、もっていないとかいう話 ではありません。
ところで、こうした違いは過去に「変異」が起きたからですが、どちらが祖先型でどちらが変異型かは進化的な考察をしないと一概には言うことができません。 血液型遺伝子に限っていえば、A型が祖先型で、B型、O型は後から出てきた変異型であると推定されています。また、どちらが「正常型」でどちらが「異常型」と いう分類もな く、どちらも個性であるという観点から、遺伝子に「多型 polymorphism」があると表現します。
DNAの塩基配列に変異があると何が起こるか見てみましょう(図5.4)。実は、これが一概には言えず、さまざまな可能性があります。まずは有害・致死的な効果をもつ場 合で、遺伝子病とい われる病気を引き起こすことがあります。逆に、より環境に適応的な変異というのもあります。まったく新規な機能をもつということも、極めてまれでしょ うが、起こります。進化という時間レベルでみれば、自然選択の機構により、有害・致死的な変異は一般的には減少し、より適応的な遺伝子はやがて子孫の集団で多数派を占める ようになります。まったく 新規な変異はその後どうなるかは環境などに依存しながら決まっていくことになります。しかし、そうした自然選択の機構に無関係な変異もあります。 要するに、これまでのものより良いというわけでもないし、悪いというわけでもない、ということです。これらは自然選択に対して「中立」な変異とよばれ、現存する変異のなか では圧倒的に多いものと考えられています。
たとえば、同じA型の血液型の人どうしで比較しても、塩基配列が一部違う、すなわちB型やO型と比較したときにあったSNPとは違う箇所にA型どうしの SNPが1つ、2つある場合があります。A型糖鎖をH型糖鎖に結合させる能力が多少異なる場合もありますが、血液型がA型であることは変わりません。また、わ れわれの顔の造作には多くの遺伝子が関与していますが、多型が存在するのは明らかですし、それらについて進化的に有利・不利を論じることはほとんどの場合意味 がないことも確かです。これらが中立な変異です。そしてこれこそが同種内での遺伝的多様性を生み出すもっとも本質的な原因なのです。
O型の遺伝子のように、DNAの配列の中で、かつてはタンパク質をコードしていたと思われるが、現在はその機能を失っているものを偽遺伝子とよびます。し かし、たとえば日本の血液型の分布は、A型、O型、B型、AB型がほぼ4割、3割、2割、1割となっています。もし偽遺伝子であることで何らかの支障が出るこ とがあれば、こんなに多数の人がO型であるはずがありません。進化の過程のなかで淘汰されるはずです。 われわれのゲノムのなかには、誰であろうと、多くの偽遺伝子があることがわかっています。ある遺伝子については人類全体において偽遺伝子となっているものもあります。また ある遺伝子においては、血液型の遺伝子のように、機能を有している人もいれば、SNPがあって偽遺伝子となっている人もいるという場合もあります。
たとえば、ヒト は体内でビタミンCを合成できませんが、それは合成に関わる遺伝子の1つが偽遺伝子となっているからです。ビタミンCは食料から摂取できるため、突然変異によって偽遺伝子 化しても問題がなかったためでしょう。いったん偽遺伝子化した塩基配列が偶発的に起こる変異によって再び機能を回復する確率は極めて小さいため、偽遺伝子化し ても問題のなかった遺伝子はそのまま集団に残っていくことになります。さらに、偶発的な変異によって機能していた遺伝子が偽遺伝子化する確率はそれなりにある わけですから、そうした生存にとって必須でない遺伝子の偽遺伝子化はむしろ 時間とともに増えていくことになります。
他の例では、ヒトは嗅覚に関わる遺伝子を800個ほどもっていますが、その半分はすでに偽遺伝子となっています。一方、イヌは1100個の遺伝子をもち、 その うち偽遺伝子は300弱です。イヌにとって嗅覚から得られる情報がいかに重要かは明らかだと思いますが、われわれは視覚からの情報が嗅覚からの情報をはるかに上回ってお り、偽遺伝子が増えていくことに問題がなかったのです。
というわけで、O型の遺伝子が偽遺伝子であるということは何も問題がなく、少数派でないことが如実にそれを物語っています。ABO血液型の役割はよくわ かっていませんが、かつては何らかの役割を果たしていたと思われます。しかし今はその機能がほとんど失われ、A型、B型、O型、AB型のどの血液型であるかは 中立な 変異となっていると考えられます。
初回からここまで、分子生物学のセントラルドグマを理解していただくために、DNAとタンパク質の構造と機能の説明から始まり、転写→翻訳によってタンパク 質ができるまでの過程を説明、最後にその具体例として血液型遺伝子を見ていただきました。これで基本的な話はおしまいです。次回からは、これまでの話の応用編 です。タンパク質の働きに注目しながら、身近な生命現象を見ていこうと思います。
遺伝子多型 〜 「正常」と「異常」という分類からの脱却
父O型+母B型からA型の子が生れた 〜 O型かB型の子しか生まれないは ずな のに・・・
ビタミンCと尿酸 〜 偽遺伝子化もまた進化