現代生命科学は、遺伝子から生態系までの各階層における物質的基盤、すなわちDNAとタン
パク質の物理・化学的特性と生命現象との関係を明らかにすることに
よって、生命に関する多くの知見をもたらしました。とりわけ、それによって得られた多様な生命の普遍的描像は、生命科学に大きなパラダイム転換をもたらしまし
た。しかし一方で、多様性(個性)と進化(歴史性)といった視点が、生命を理解する上でいかに重要かを再認識させる結果ともなりました。本講義の残りの部分で
は、このDNAとタンパク質というすべての生物の体を構成する普遍的な分子を基盤に、そこから生まれてくる多様性(個性)と進化(歴史性)の問題について解説
していこうと思います。
みなさんは進化というとどのようなことを頭に浮かべるでしょうか。ダーウィンの進化論、単純な生物から複雑な生物へ、あるいは下等な生物から高等な生物へ という時間の流れなどさまざまでしょう。私が大学生だった1970年代初めころまで、学問的には進化はあまり重要視されていなかったように思います。そもそも 進化は誰も見たことがありません。当時はまだ、もっぱら化石をもとにした議論が中心で、化石から復元された生物が互いに、あるいは現存する生物とどこが似てい て、どこが違うか といったかなり主観的な事柄を根拠にして学問体系が構築されていました。しかも、過去に存在した生物がすべて化石として残っているわけではありませんし、発掘 されているわけでもありませんから、研究者が自由に想像を膨らませ、物語を創造できるため、進化学は客観性に欠ける学問と位置づけられ、生物学者たちはそこに 何か胡散臭ささえ感じ、手を出さない、そんな状況にあったように思います。
ところが、1970年代にはいると、DNAを取り扱う技術が急速に進歩し、様相は一変しました。免疫での利根川進さんの発見は1970年代半ばですが、そうした 背景で成し遂げられたものでした。実はこの時期、DNAという分子を扱うことから、物理学者や化学者も生命科学の分野に参入するようになり、DNAの解析から得ら れ た結果をもとに、それまでとは異なる新たな視点から進化を捉えようとする研究者たちが現れてきました。その結果、それまで描いていた進化のイメージは大きく変わりまし た。そして今では、生命科学のいかなる分野であろうと、進化を念頭におかない議論はあり得ないという状況にまでなっています。 化石のみに頼っていた進化学が、DNAの知見を得ることでどのような情報を得ることができ、それによってどのように進化を捉えるようになったのか、そんな
話をこれからしたいと思っています。
DNAは親から子へと遺伝情報を伝える分子です。DNAは4種類の塩基、A、T、C、Gの配列、塩基配列によってその情報を記述しています。そして、これ は地球上のすべての生き物に共通です。そのため、ある2つの生物種を比較するとき、見た目の類似点や相違点ではなく、この塩基配列を比較することができます。 極端な ことを言えば、ヒトとシクラメンを比較しろ、と言われても困惑しますが、DNAレベルだったら比較することが可能となるのです。
例をあげましょう。下記の1〜7は、7種類の哺乳類について、そのDNAの塩基配列の一部分を並べて表記したものです。できるだけ同じ塩基が縦に並ぶようにして あり、ヒトの塩基配列を基準として、一致しない塩基を赤で表示しています(ちなみに、これら哺乳類のDNAの1セットはおよそ30億塩基対からなります。DNAの 1セットはゲノムとよばれます。したがって、これはゲノムのほんの一部を例示しただけです)。これを配列をアラインメントするといいます。1 AAGCTTCATAGGAGCAACAATACTAATAATCGCAC マウス 2 AAGCTACATAGGAGCAACCGCCCTTATGATTGCCC ウシ 3 AAGCTTTACAGGTGCAACCGTCCTCATAATCGCCC テナガザル 4 AAGCTTCACCGGCGCAACCACCCTCATGATTGCCC オランウータン 5 AAGCTTCACCGGCGCAGTTGTTCTTATAATTGCCC ゴリラ 6 AAGCTTCACCGGCGCAATTATCCTCATAATCGCCC チンパンジー 7 AAGCTTCACCGGCGCAGTCATTCTCATAATCGCCC ヒト
どうでしょうか。こんなにも互いに似ていると思うか、こんなにも違うと思うかは主観ですが、違いが小さいほど見た目ヒトに似ていて、大きいほど見た目の違 い が大きくなり、結果はわれわれの感覚をそのまま反映しているように思います。しかも、何か所違うとか、何か所一致しているかを定量的に示すことができます。この違 いに意味があるのならば、種の違いを、主観的にではなく、数値をもって客観的に表せそうです。
ところで、DNAにはタンパク質のアミノ酸配列の情報が書かれていました。したがって、タンパク質のアミノ酸配列を比較することでも同様な解析が可能で す。ただし、1つのアミノ酸に対して複数の塩基配列(コドン)が対応していましたので、正確には、塩基配列を比較することとアミノ酸配列を比較することとは異 なるのですが、これからの議論は、その違いに左右されるほど厳密なものではなく、近似的解析ですので、DNAとタンパク質のどちらの配列で比較するかに大きな 違いは生じません。
そこで今度は、タンパク質を比較した例をあげましょう。
図27.1は、われわれの赤血球にあって、肺から末梢へと酸素を運ぶ働きをするヘモグロビンのα鎖とよばれるタンパク質のアミノ酸配列をいろいろな脊椎動物の種 間で比 較したものです。とりあえず左の図の黒字の数字だけに注目していただきたいのですが、それらは2種間でアミノ酸が異なってる箇所の割合(%)を示しています。ざっと見ると、上で哺乳類を比較したように、進化的に近い種間の数字が小さく(すなわち、似ていて)、遠いほど大きくなる(違ってい る)傾向にあるのですが、注目すべきはサメとコイです。同じ魚類に属するのに、その違いが大きすぎませんか?そこで、これは単なる例外的な事象と捉えるべきことなのか、そ れとも何 らかの合理的な説明が可能なのかが問題となります。
サメとそれ以外の脊椎動物との違いも見てみましょう。コイも含め、概ね58%の違いがあります。さらに、コイと、サメを除くそれ以外の脊椎動物との違いを
見 てみると、すなわち、コイから分岐した脊椎動物とコイの違いということになるのですが、概ね50%、イモリか
ら分岐した脊椎動物とイモリとの違いは概ね46%となっています(右の図の赤字の数字に注目してください!)。どうやら、タンパク質のアミノ酸配列の違いは、
われわれの見た目などから判断した種が近いとか遠いとかではなく、進化系統樹上で分岐してからの時間に比例しているように思えます。もちろん、種が近いという
ことは、その分岐してからの時間が一般には
短いので、種が近いとアミノ酸配列が似ているということになりますが、サメとコイというように、同じ魚類でも、分岐後の時間が長いものがあり、そうした種間の違
いを説明するのは、これまでの分類学上の種の近縁さではなく、分岐からの時間に注目する必要がありそうです。
しかし、サメとヒトの違いの大きさとサメとコイのそれがほぼ等しいとは、すなわち、タンパク質のアミノ酸配列(あるいはDNAの塩基配列)の違いは、種の近
縁さではなく、進化系統樹上の分岐からの時間に比例しているとは何を意味しているのでしょうか。この問いこそが、進化の捉え方を大きく変えた重要なポイントの
一つなのです。
野生型 |C T G|G T T|G T C|T A C|C C T|... Leu Val Val Tyr Pro 同義置換 |C T G|G T T|G T A|T A C|C C T|... Leu Val Val Tyr Pro サイレント変異 塩基置換が起こっても 対応するアミノ酸に変化がありません 非同義置換 |C T G|G T T|G A C|T A C|C C T|... Leu Val Asp Tyr Pro ミスセンス変異 塩基置換が起こって、対応するアミノ酸が変わりました |C T G|G T T|G T C|T A A|C C T|... Leu Val Val 終止 ナンセンス変異 塩基置換が起こって、終止コドンが現れました 欠失 |C T G|G T T|G T T|A C C|C T A|... Leu Val Val Thr Leu フレームシフト 塩基が欠失し、配列が左に1つシフトしたため その後の塩基配列ががらりと変わってしまいました 挿入 |C T G|G T T|G T A|C T A|C C C|T.. Leu Val Val Leu Pro フレームシフト 塩基が挿入され、配列が右に1つシフトしたため その後の塩基配列ががらりと変わってしまいました
同義置換の場合、タンパク質レベルではアミノ酸配列に変化が起こりませんので、遺伝子としては変わらないと言えます。しかし、非同義置換、欠失、挿入では タンパク質のアミノ酸配列に変化が起こります。その場合の影響はどうでしょうか。いろいろな場合が考えられます。@有害・致死的、A機能は同じだが より適応的、Bより適応的なまったく新規の機能をもつ、そしてCほとんど影響なしが考えられます。これらの影響を考えていく上で大切な視点の一つは、いま進化 について考えているので、このDNAの変異が起こった1個体への影響だけではなく、それが世代を超えて伝えられていく過程で、その変異を継承する子孫の個体数 が増えるか否か (これを集団への固定といいます) を問題にしなければならないということです。
そう考えると、@の有害・致死の変異をもった子孫は進化の過程で淘汰され、非常に少数派となります。AとBは生存の有利さから集団内の多数派となり、固
定
される確率が高いでしょう。ただし、偶発的に起こる変異によってより適応的となるというのはそうめったには起こりそうもありません。Cは、「進化に対して中
立」と表現されますが、良くも悪くもないので、多数派になるか、少数派になるかはまったくの確率によって決まります。しかし、単に生起確率だけを問題にするな
らば、@が多いかもしれませんが、長く次世代へと引き継がれる点も考慮すると、Cの中立的な変異が圧倒的に多いと考えられます。
中立的な変異のイメージとして、顔の造作の遺伝子を考えてみましょう。顔が親に似ているというのは、その遺伝子を引き継いでいるからです。顔の造作に関わる
遺伝子は何百とあると思いますが、顔の造作が千差万別であるのは、それらの遺伝子、すなわちDNAの塩基配列に上で述べたような違いがあるからです。それでは
自分の周りの人々の顔を見てください。どの顔が進化的に有利でしょうか?特に生存率に影響するような違いはなさそうです。これが進化に中立な変異です。すなわ
ち、中立な変異は多様性を生むだけで、適応的な進化には何ら貢献しないものです。したがって、いわゆる遺伝的個性とよばれるものの多くは中立的であり、そうし
た変異は最も頻繁にみられるものなのです。
こうしたDNAの中立的変異の進化における影響を詳細に調べ、その重要性を初めて指摘したのは日本の遺伝学研究所(三島市)の教授木村資生でした。 1967年、「分子レベル(DNA、タンパク質レベル)の変化は大部分が自然淘汰に対して有利でも不利でもない中立な変化であり、偶発的事象である突然変異と 遺伝的浮動が進化の主因をなす」として、これを分子進化の中立説と名づけました。ここで遺伝的浮動とは、次世代への遺伝子の引継ぎが確率的事象であることを指 しています。
しかし、提唱当時、日本では進化学の大御所、今西錦司の社会学的な進化論が全盛であったこと、西洋では、中立説がダーウィンを否定しているものとして受け取 られたこともあって、なかなか受け入れられませんでした。しかし、最初に述べたように、70年代、80年代とDNA研究が身近なものとなり、解析データが増加 するにつれ、多くの研究者の認めるものとなり、現在では、進化学の中で確固たる理論として広く認められています。
当初受け入れられなかった理由の一つが、中立説はすべての突然変異が淘汰に対して中立であると主張していると誤解されたことでした。しかし、上で述べたよう に、有害・致死な突然変異の出現とその淘汰も中立説にとって重要な前提となっていること、ダーウイン流の自然選択にとって有利な突然変異についても、その存在 を否定するわけではないことが理解されるようになりました。当初、有利な突然変異は中立な突然変異に比べごく稀にしか起こらないので、次の節で扱う分子時計と して解析するとき、変異のすべてが中立な変異であるとする近似を用いるため、ダーウィンの進化論を否定しているように捉えられたのですが、決してそうではない ことを木村資生は再三強調しています。
ダーウィンの進化論では、生存に有利な遺伝子が集団に広まることが強調されます。最適者の生存(The survival of the fittest)です。これに対して、木村資生は、良くも悪くもない遺伝子が集団に広まるのは確率の問題であり、広まったとすれば、 それは運がよかったからだとして、中立 説を最も運のよいのもが生き残る The survival of the luckiest と表現しました。この2つの要因が複雑に絡み合いながら進んできたのが進化なのです。
図27.3 共通の祖先種から分岐後、種Aにも種Bにも同じ頻度で変異が起こったとすると、
現存種の配列を比較したときの違いの数の半分が分岐後にそれぞれの種で起こった変異の数に相当し、
その数は分岐後の時間に比例するとみなすことができます。
さて、図27.1に戻ってみましょう。アミノ酸の違いの数の実測値に対して、分岐後の変異数が一定の確率で起こるとして、実測値と合うように
調整した値を右に赤で示しました。系統樹上の赤い数字は、系統樹の線の長さだけに比例し、分岐後どのような生物種となったかに依存しないとして推定してありま
す。
そして、表では、ある2つの種を考えたとき、それを繋ぐ系統樹上の線の長さ(赤色の数字の和)を赤字で示しています。実測値とおおよそ一致していることが確認
できると思います。
もう一つ具体的な例をあげましょう。シトクロームCという100個ほどのアミノ酸からなるタンパク質があります。ほとんどの生物がもつタンパク質であるた
め、さまざまな生物種間でアミノ酸配列を比較することができます。図27.4にいろいろな生物種のアミノ酸配列をアラインメントしたものを示しています。アミ
ノ酸は 1文字表記で示しています。詳細は読めなくとも構いません。さまざまな生物種が含まれていることに注目してください。
CYC_USTSP Ustilago sphaerogena
(真菌類)、CYC_ISSOR Issatchenkia orientalis (酵母)、
CYC_HELAN Helianthus annuus (ひまわり)、 CYC_FAGES Fagopyrum esculentum (そば)、
CYC_CAEEL Caenorhabditis elegans(線虫)、 CYC_HELAS Helix aspersa (カタツムリ)、
CYC_HAEIR Haematobia irritans (ハエ)、
CYC_SAMCY Samia cynthia (カイコ蛾)、
CYC_MACMA Macrobrachium malcolmsonii (クルマエビ)、CYC_KATPE Katsuwonus
pelamis (カツオ)、
CYC_RANCA Rana catesbeiana (ウシガエル)、CYC_CHESE Chelydra serpentina (カメ)
CYC_CROAT Crotalus atrox (ガラガラヘビ)、CYC_ANAPL Anas platyrhynchos (アヒル)、
CYC_COLLI Columba livia (ハ
ト)、
CYC_CANFA Canis familiaris (イヌ)、
CYC_HUMAN Homo sapiens (ヒト)
図27.5右は、この表をもとに作られた系統樹です。2つの種を繋ぐ系統樹上の線の長さがアミノ酸配列の違いの数にできるだけ一致するように描かれたもの
です。た
だし、数学の方程式を解くようにすっきりと解が求まるわけではなく、可能性のある解はいくつかあるため、これだけで系統樹が完璧に描けるというわけではなく、
化石などの調査で得られた知見とか、生物種の分類過程で得られた知見などを参考にして調整し、最終的に構築する必要があります。
もう一つ重要な点は、変異の数が分岐からの時間に比例するわけですが、その比例定数がわからないことです。しかも、次に述べるように、この比例定数はタンパ
ク質ごとに異なるため、普遍的な量とはなり得ないことも注意が必要です。そのため、従来の化石などの発掘調査などのデータをもとに推定された系統樹と比較しな
がら、それぞれのタンパク質ごとに定める必要があります。
こうしてさまざまなタンパク質について解析を進めた結果、おおよそこの分子時計という解析手法が機能すること、比例定数はタンパク質ごとに異なることなどが
分かってきました。機能的に重要でないもの(またはタンパク質のアミノ酸配列上で重要でない部分)ほど、重要なもの(あるいはンパク質のアミノ酸配列上で重要
な部分)より進化の過程でアミノ酸(および対応するDNAの塩基)の変異が頻繁に起こる(進化速度が大きい)ことが明らかになりました。重要な機能をもつタン
パク質ほど、変異が生体内で重大な機能障害を引き起こす確率が高く、淘汰されてしまい、変異が受容されられないためと考えられます。また、タンパク質のアミノ
酸配列の中でも、重要な領域ではアミノ酸の変異は機能不全を起こす確率が高いのに対して、アミノ酸の種類に対してかなり自由度の高い領域では、頻繁に変異が発
生し、許容されていることもわかっています。
これまで化石にのみ頼っていた進化学は、現存する生物のDNAの塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列を比較することで、進化を論じることが可能となりまし た。換言すれば、地球のすべての生物のDNAやタンパク質の比較によって得られる膨大な情報を矛盾なく説明できる論理、それが進化学に求められるものとなった のです。
似てる? 似てない? 〜 見た目の類似度とDNAの類似度
シーラカンス 〜 生きた化石と呼ばれる生物のゲノム