前回はホルモン受容体タンパク質の話をしましたが、今回は、神経伝達物質受容体タンパク質の話をします。多細胞生物では、細胞間でコミュニケーションを取りあうことが必 要不 可欠です。ホルモンと ホルモン受容体の系では、離れて存在する分泌細胞と標的細胞が血液を通してコミュニケーションを取りましたが、今回のテーマである神経系では、神経細胞が軸索 という細長い腕を直接標的細胞にまで伸ばしてコミュケーションを取ります(図10.1)。したがって、神経系では瞬時にコミュニケーションを取れるのが特徴で す。
神経系は、最も複雑かつ高度に組織化された生体内のシステムです。たとえば感覚器官から受け取った情報は脳へと伝えられ、脳で情報処理をした後、その応答のた めの指令を運動器官をはじめ、さまざまな器官に送ります。脳では神経細胞が複雑なネットワークを構築しており、ある神経細胞が興奮すると(活動電位を発生する こ とをこうよびます)、それが他の神経細胞を興奮させ、それがさらに他の神経細胞を興奮させるといった興奮の連鎖を引き起こすことで、複雑な情報処理を行ってい ます。
神経系の基本単位は神経細胞(ニューロン)です。図10.2にニューロンの構造を示しました。ニューロンは、長く伸びた1本の軸索と、比較的短くて枝分かれした多 くの樹状突起をもつ細胞体とからなります。ニューロンの興奮は、軸索を経て、離れたところにある別のニューロンや筋肉細胞に伝わります。軸索の長さは1o以下 のものから、1mに及ぶものまであります。ニューロンの興奮、すなわち活動電位が軸索上を伝わることを伝導といいます。
軸索上の細胞膜にはNa+チャンネル(ナトリウムイオンチャンネル)とK+チャンネル(カリウムイオン チャンネル)とよばれるタンパク質が並んでいます。Na+チャンネル、K+チャンネルとは、Na+イ オンだけ、あるいはK+イオンだけを選択的に通すことのできるタンパク質で、これらの共同作業で軸索上を活動電 位が伝播していくことができます。そのメカニズムの説明は結構厄介なので、Na+チャンネルに注目して大雑把 に説明します(図10.3)。Na+チャ ンネルには開 状態、閉状態、不活化状態という3つの状態があり、軸索のある部分の膜電位がある閾値を超えるとNa+チャ ンネルが開き、 Na+が 軸索内に流入します。すると膜電位がさらに上昇し、閉じていた隣接するNa+チャンネルが開きます。この動 作が連鎖し、活動電位が軸索上を伝播していきます。このとき、一度開状態になったNa+ チャンネルは一時的な不活化状態となるため、一方向に伝播することが可能となります。
このようにして軸索上を電気的な信号が伝わるのですが、金属の中を電気が光速で流れるのとは異なり、タンパク質の連鎖反応によって起こる現象であるため、その 伝播速度は1/100秒、1/1000秒のレベルです。また、信号、というと多くの情報を含んでいるようなイメージですが、活動電位が伝播したか否か、すなわ ち ON/OFFの2値の信号であることにも注意してください。
軸索の末端は、情報を伝達する次のニューロン、あるいは筋肉細胞などに接触しています。結合はせず、狭い間隙をもって接触しており、この部位をシナプスとよびま す。活動電位の伝播が軸索の終末(シナプス前部)に達すると、何らかの神経伝達物質がその間隙に放出されます。一方、受け手側の細胞表面(シナプス後部)には そ れに特異的な神経伝達物質受容体タンパク質があり、鍵と鍵穴の関係で神経伝達物質が結合することで、その信号を受け取ることになります(図10.1右)。
放出された神経伝達物質は、そのままシナプス間隙に漂っていると次の活動電位が到達したことを伝達できません。そこで、シナプスをリセットするため、神経 伝達物質はすぐに回収されます。回収を行うのはシナプス前部にあるトランスポーターとよばれるタンパク質です。回収された神経伝達物質は再利用されます。
ところで、ある神経細胞からある神経細胞への情報伝達は、神経伝達物質の放出がそのまま受け手側の神経細胞の興奮を引き起こすというわけではありません。1 つの神経細胞の樹状突起には複数の神経細胞がシナプスを通して接触しています。それらのなかには、興奮を引き起こす興奮性シナプスもあれば、興奮を抑制する抑 制性シナプスもあります。また、神経細胞の興奮に寄与する程度もシナプスごとに異なり、それらがすべて加算されて、興奮するか、しないかが決まります。
図10.4では、ある神経細胞(緑)に2つの興奮性シナプス(ピンク)と1つの抑制性シナプス(青)が接触しています。図のA、B、Cは時刻を表し、時刻 Aでは1 つの興奮性シナプスから、時刻Bでは2つの興奮性シナプスから、時刻Cでは2つの興奮性シナプスに加え抑制性シナプスから同時に入力があったことを表していま す。その結果、時刻Aでは活動電位を発生するには入力が不十分で、活動電位は発生しませんが、2つ同時に来た時刻Bでは活動電位を発生するに十分な閾値に達し たため活動電位が発生、時刻Cでは2つの興奮性シナプスから同時に入力があったものの、抑制性のシグナルからも同時に入力があったため、活動電位を発生するに は 至らなかったことを表しています。
脳は神経細胞のネットワークを構築しています。たとえば外部からの刺激である神経細胞が興奮すると、こうしたメカニズムを通して興奮が広がり、ネットワーク上の神経細胞 に興奮状態にあるもの、ないものが生まれ、何らかのパターンが生み出されます。われわれはその興奮パターンよってどのような外部刺激が来たかを感知していると 考えられています。
酵素の話以降、タンパク質の機能を阻害することで治療的効果を生じる薬の話題をいくつか取り上げました。しかし、薬といえども、本来のタンパク質の機能を 阻害するわけですから、健康な人には毒となります。ここで取り上げるのは、タンパク質の機能を阻害するまさに「毒」の話です。
神経系に作用する毒を神経毒といいます。摂取した場合、しびれや筋肉の麻痺、呼吸困難などの症状が現れます。今回登場したタンパク質には、軸索上にあって電 気信号の伝導に関わるイオンチャンネルタンパク質とシナプス後部にある神経伝達物質受容体タンパク質がありました。たとえばフグ毒の成分テトロドトキシンやサ ソリ毒成分のティティウストキシンはNa+チャンネルに結合し、軸索上の活性電位の伝播を阻害します。アマガサヘビの毒α-ブンガロトキシンやウミヘ ビの毒エラブトキシンなどはシナプス後部にあるアセチルコリン受容体を阻害し、神経伝達物質アセチルコリンの結合を阻害するため、シナプスにおける情報伝達が遮断されてし まいま す。
この他にも、シナプスに存在する酵素アセチルコリンエステラーゼを阻害する神経毒もあります。これについては興味ある話題がありますので、少し詳細に述べた いと思います。
アセチルコリンは主に運動神経と筋肉の接合部のシナプスで用いられる神経伝達物質です。脳から運動神経を通して下された指令情報が筋細胞まで到達すると、ア セチルコリンが放出され、その受容体をもつ骨格筋が収縮します。そして、細胞外に放出されたアセチルコリンは極めて短時間で、酵素アセチルコリンエステラーゼ に よって分解され、コリンと酢酸になり、コリンは再びシナプス前部に吸収され、再利用されます(図10.5)。
もし、このアセチルコリンエステラーゼの働きが何らかの理由で阻害されると、シナプスにはアセチルコリンが長時間滞在することとなり、新たな信号が脳から発 せられても感知することができなくなります。1994年に起きた松本サリン事件、1995年に起きた地下鉄サリン事件のサリンは、まさにこのアセチルコリンエ ス テラーゼの阻害剤でした。また、2008年、冷凍餃子に含まれた農薬成分メタミドホスが話題になりましたが、これも、サリンよりは毒性が弱いものの、アセチル コリンエステラーゼの阻害作用があることが知られています。
しかし、第7回の創薬の講義では、酵素阻害剤が薬として作用する話をしました。実は、アセチルコリンエラスターゼを阻害することで治療効果をもつ薬もある のです。 脳の深部のマイネルト核や中隔という部分にはコリン作動性のニューロン(アセチルコリンを神経伝達物質とする神経細胞)が存在します。マイネルト核は前頭葉(意 志、思考、創造などの精神機能と関連する部位) や頭頂葉 (会話、行動、計算、位置の認識などに関連する部位) へ、中隔は海馬(記憶や空間学習能力に関わる部 位)へと軸索を伸ばしています。アルツハイマーにかかると、このコリン作動性ニューロンに機能低下が起こり、すなわち、放出されたアセチルコリンが十分に受容体 に結合する前に分解されてしまい、情報伝達がうまくいかなくなって、記憶障害などの症状が現れると考えられています。これをアセチルコリン仮説といいます。
そこで、シナプスにおけるアセチルコリンの滞在時間を長くすればアルツハイマー病の症状が改善されるのではないかという考えから開発されたのが、エーザイ の アリセ プトという薬です。アセチルコリンエステラーゼを可逆的に阻害することにより、アセチルコリンの分解を抑制して、シナプスにおけるアセチルコリン量を増加させ、ア セチルコリンが神経伝達物質として作動する神経系を賦活するというものでした。ファイザーとの提携により国外でも8割の市場占有率を誇るアルツハイマー型認知 症進行抑制剤でした(ただし、2013年特許が切れました)。
図10.7は、アセチルコリンエステラーゼにこれまで述べたさまざまな基質が結合している様子を実験データをもとにCGで描いたものです。これまで何度も話してき た、タンパク質と鍵と鍵穴の関係が成り立つ化学物質は決して1通りではなく、また、その結合の強さや可逆的な結合か不可逆的な結合かなどの違いによって、それ が 引き起こす生理現象もまた1通りでないことがわかっていただけたでしょうか。
ここからは感覚神経に関わる話題をいくつか取り上げたいと思います。外部からの情報を、われわれは、タンパク質を通していかに受容しているのかといった話 題です。まずは味覚です。
味覚には、甘味、うま味、苦味、酸味、塩味の5つの基本味があります。これらは食べ物に含まれる化学物質と味細胞に発現する味覚受容体とよばれるタンパク 質との相互作用によって引き起こされるものです。味覚受容体には2つのタイプがあります。一つはGタンパク質共役型受容体とよばれるもので、甘味、うま味、苦 味の受容体がこれに属します。これは、食物などに含まれる物質が鍵と鍵穴の関係でこれら受容体に結合すると、甘味、うま味、苦味を感じます。たとえば、甘味受 容体の基質は、グルコース(ブドウ糖)やスクロース(砂糖)ですが、人工甘味料もこの受容体に結合するため、われわれにとって甘いと感じるわけです。もう一つ の味覚受容体のタイプはイオンチャンネル型受容体です。酸味と塩味の受容体がこれに属します。H+(水素イオン)、Na+(ナ トリウムイオン)を感知することで、酸味、塩味を感じています。
味細胞に発現する味覚受容体への結合あるいはイオンの透過で受け取られた味物質の情報は、味細胞内のシグナル伝達系を経て神経伝達物質の放出を促し、これ に より味覚神経の興奮を引き起こします。この興奮は脳に伝達され、味として認識されます。1本の味覚神経は10個程度の味細胞とシナプスを形成しています。甘味 や苦味などの単一のカテゴリーの味に対して応答する神経がある一方で、カテゴリーの異なるさまざまな味に対応する神経もあり、それぞれの味応答性は複雑です。
なお、辛味、涼味は、神経終末が直接センサーとなって刺激を感知する体性感覚系に属し、味覚とは区別されています。また、カルシウム味、脂肪味。炭水化物味 などに応答する味細胞の存在も示唆されていますが、まだそのメカニズムは研究が始まったばかりのようです。
匂いは、空気中を漂う匂い分子が、鼻腔内の上皮にある嗅細胞の受容体タンパク質に鍵と鍵穴の関係で結合し、その情報が嗅神経を伝わって脳に伝えられたもの です。匂い分子に対する受容体タンパク質は、ゲノムの解読から、マウスで1,000種類、ヒトで350種類くらい存在している(すなわち鍵穴の形がそれだけの 種 類ある)と推定され、個々の嗅細胞はいずれか一つの受容体だけを発現しています。一方、1つの匂い分子は複数の受容体と異なった鍵と鍵穴の関係(すなわち、匂 い分子の受容体への結合部位が異なる)で結合することができ、それらの組み合わせで匂いを感知しています。したがって、味覚のように、甘味受容体に結合するも のは すべて甘いという単純なものではなく、分子として似ていても、結合する受容体の組み合わせが異なれば、それらを区別することができるわけです。さらに、多数の匂い分 子を含む食べ物や他の個体の分泌液などの対象は、膨大な組み合わせの嗅細胞からの情報を脳が処理して感知することになります。したがって、匂いは、本来膨大な 情報 量をもった感覚といえます。それは、イヌやネズミの行動を見れば納得がいくかと思いますが、一方、視覚からの情報が圧倒的に優位となったヒトでは多くの遺伝子 が偽遺伝子化し、衰退しています(第05回講義資料 5.5 偽遺伝子化 参照)。
環境温度の感知は重要な機能の一つです。実は、皮膚表面や体内の温度をモニターしているのもタンパク質です。しかし、これまでの受容体タンパク質とは異なり、温度は物質 で はないため、鍵と鍵穴モデルではその感知メカニズムを説明できませ ん。温度を感知するタンパク質は温度感受性タンパク質とよばれ、哺乳類では11種類が報告されており、それぞれ感知する温度領域が異なっています。温度感受性タ ンパク質はイオンチャンネルタンパク質で、それが特定の温度領域で開口し、イオンを通すことで活動電位を発生し、感覚神経を通して脳に伝えられ、温度を知覚し ていると考えられています。
イオンチャンネルの開口には、温度感受性タンパク質の揺らぎの大きさが関与していると考えられます。そもそも、タンパク質分子の揺らぎの大きさは温度が高 く なると大きくなりますが、その温度依存性は、構成するアミノ酸間の相互作用の大きさに依存します。すなわち、そのアミノ酸配列に依存します。したがって、種類の 異なる温度感受性タンパク質は、それぞれ固有の温度領域で開口し、そのことを通して、われわれは温度を知覚していると考えられます。ただし、ある特定の温度 で、まるでスイッチが on/offするようにチャンネルが開口/閉口するメカニズムはいまだ明らかにされていません。
ついでながら、この温度感受性タンパク質には化学物質刺激や物理刺激にも応答するものがあります。43℃以上で活性化される温度感受性タンパク質の一つ、 TRPV1 は、その温度領域がわれわれにとって危険な温度であるため”痛み”を伴う感覚をもってその危険性を知らせてくれますが、唐辛子の主成分カプサイシンと鍵と鍵穴 の関係が成り立っている部位があり、 結合すると、脳には痛みに似た感覚である「辛味」として認識されることがわかっています。辛い物を食べると汗が出るのも、脳がTRPV1が活性化されて、熱いと誤認してい るか らと考え られます。一方、23〜26℃以下で活性化するTRPM8とよばれる温度感受性タンパク質は、メントールと鍵と鍵穴の関係が成立している部位があり、こちらは結合すると冷 感を感じることになります。
(参考)富永真琴『温度感受性TRPチャンネル』生化学、94 (2)、236-257 (2022)
ヒトには赤色、緑色、そして青色の光に感受性をもつ3種類のオプシンとよばれるタンパク質があります。これらは光受容体タンパク質ともよばれますが、光も温度同 様、物質ではありませんから、その受容メカニズムを鍵と鍵穴の関係で説明するのは無理があります。実は、オプシンのなかには、光に反応するレチナールという化 学 物質が埋め込まれています。赤、緑、青の3種類の光感受性オプシンは互いにそのアミノ酸配列が異なることにより、レチナールが反応する光の波長が異なっているのです (図10.10)。 3原色で色を感じる仕組みを理解していただくために、図10.11に、単色光の黄色の光でも、赤色光と緑色光の混合でも黄色に見える理由を、3種類のオプシンの反応の 仕方で説明しています。
われわれは、3原色の組み合わせで色を判断しています。テレビもパソコンのモニターも3原色で色を表現しています。そのため、3原色で色を表すことに物理学的 必然性があるように思いがちですが、これは単に進化の結果、われわれを含む霊長類が3種類のオプシンをもっているからという生物学的理由にすぎません。実 際、哺乳類の多くは2種類しかもちませんし、鳥類などは4種類もっており、それらオプシンの光に対する反応の組み合わせで色を感知しています。何種類もつかは あくまでも進化という歴史の偶然に過ぎませんが、3原色というのが、脳が処理する上で最適化された結果であるという側面があるかもしれません。
ちなみに、ヒトでは、赤色感受性オプシンに多型(SNP)があることが知られています。これを赤1、赤2とでもよぶと、これらはわずかですが反応する光の波 長が違います。このオプシンの遺伝子は性染色体であるX染色体にあるため、女性は2つもちますが、男性は1つしかもちません(男性の場合、もう1本はY染色体 で、そこにはオプシン遺伝子はありません)。となると、女性では、赤1を2つもつ人、赤2を2つもつ人、赤1と赤2を1つずつもつ人がいて、最後の人は赤1、 赤2、緑、青の4原色で色を感知していることになります。一方、男性は、赤1か赤2か、どちらか一方だけをもち、したがって、どちらであっても3原色で見てい る ことになるのですが、赤への反応が微妙に異なることになります。それぞれのオプシンがどの波長に反応するかは実験で測定できますが、こうした違いが色の見え方 にどのように反映しているかは、実は謎なのです。お互いにある色を見て「赤だ」と言っても、どのような色あいとして相手には見えているかをお互いに知ることが で きないからです。
(注)日本人女性の(赤1、赤1)、(赤1、赤2)、(赤2、赤2) の割合はそれぞれ 61%、34%、5%、男性の赤1、赤2の割合はそれぞれ 78%、22%というデータがあります。(赤1、赤1)、(赤1、赤2)、(赤2、赤2) の3者の間で、口紅の微妙な色合いの違いに対する認識能力が微妙に異なっているのかもしれません。
色覚、嗅覚、味覚に関わる遺伝子、そしてそこから作られるタンパク質についてみてきましたが、いずれにもまだ観測されていない多型がある可能性がありま す。われわれは、同じものを見れば、同じ匂いを嗅げば、同じものを食べれば、同じように見え、同じように匂いを感じ、同じように味を感じていると思っています が、実は、その見え方、匂いや味の感じ方が異なっているのかもしれません。しかし、その違いを知る術を今のところわれわれはもっていません。でも、知識とし て、そのことを知っておくことは意味あることかもしれません。