タンパク質の機能の話題はまだまだありますが、前回で一段落つけ、今回は遺伝的個性の話をしたいと思います。最近、 SNP(スニップ)とある疾患への罹りやすさや体質との関連性に関する研究が急激に進んできたことを受け、個人がどの型のSNPをもっているかを調べ、さまざ まな疾患への罹りやすさや、体質に関する情報を提供してくれる、いわゆる遺伝子検査を行う民間企業も出てきています。しかし、SNPと疾患への罹りやすさや体 質との関連性は、あくまで統計的データに基づいたものがほとんどですので、あるSNPがあれば必ずその疾患に罹るとか、そうした体質になるというわけでもあり ません。しかし、関連性があることも確かですので、これから自分自身の遺伝情報を知る機会があったとき、それをどのように捉え、受け入れていけばいいのかが問 題となってくると思います。こうした疾患や体質と関連付けられたSNPは数多くありますが、ここではそのうちの話題性のあるものをいくつか紹介したいと思いま す。興味をもたれたら、これらに限らず、自分自身で調べてみてください。
われわれのゲノムは32億の塩基対からなるDNA2セットからなります。図12.1は仮想的な4人のゲノムの一部の塩基配列を比較したものです。
Aさん SNP1 SNP2 SNP3 SNP4
gctggggaccgatcggcagctgtcagtgctggaggtgcgcgcctacaagcgc
gctggggaccgttcggcagctgtcagtgctggaggtgcgcgcctacaagcgcBさん gctggggaccgatcggcagctgtcagtgctggaggtgcgcgcctacaagcgc gctggggaccgatcggcagctgtcagtgctggaggtgggcgcctacaagcgc
Cさん gctggggaccgttcggcagctgtcagtgatggaggtgcgcgcctacaagcgc gctggggaccgttcggcagctgtcagtgatggaggtgcgcgcctacaaacgc
Dさん gctggggaccgttcggcagctgtcagtgatggaggtgcgcgcctacaaacgc gctggggaccgttcggcagctgtcagtgatggaggtgcgcgcctacaaacgc
図12.1 仮想的な4人の塩基配列の比較
黒はすべての人に共通な塩基、赤は誰かに変異が見られる塩基を表しています。
それぞれ両親から譲り受けた2本の塩基配列をもつ。
各自両親からDNAを譲り受けていますから、2本ずつありますが、まったく同じではありません。また、個別に2人ずつ比較すると、1カ所から4か所に違い が 見 つかりま す。誰か一人でも違う箇所を赤で示しましたが、4カ所あります。図ではSNP1〜SNP4と名づけています。実際には、任意の2人を比較したとき、平均 0.1%、およそ300万箇所で異なると推定されます。そして全人類をみて、誰かがそこにSNPをもっている個所となると数千万規模の数があると推定されてい ます(ただし、そのSNPを共有する人が1%未満の場合には変異とし、この数には含めません)。そうしたSNPのなかには、個人個人の遺伝的個性に影響を与 えるものがあり、SNP1が a の人はこれこれで、t の人はこれこれであるといった議論が始まります。これまでにも、血液型やアルコールの分解に関わる酵素に関し てそうした遺伝的個性の話しはしてきましたが、今回は、さらにいくつか例を取り上げてみたいと思います。
ここで、この後の説明の便宜上から、SNPの表記の仕方について触れておきます。塩基が置換されていて、祖先型と変異型が区別できる場合、たとえばCが祖 先型 でG が変異型の場合、C>G と表記します。祖先型が明確でない場合には C/G とします。また、欠失 deletion の場合には、たとえばGが欠失 deletion している場合には delG、逆に挿入 insertion の場合は insG とします。塩基の置換はアミノ酸の置換となる場合があるわけですが、アミノ酸の置換として表記する場合には、アミノ酸の一文字表記を使い、たとえば、176番目のアミノ酸 R(アルギニン)が G(グリシ ン)に変異した場合には R176G と表記されます。祖先型が分からない場合には、RとGの順序は問いません。
第5回の講義で扱った血液型では、A型が祖先型と推定されていますので、B型には4つのSNP 526C>G、703G>A、 796C>A、803G>Cがあり(数字は塩基番号です)、アミノ酸レベルでは R176G、G235S、L266M、G268A があるとなります。O型は 354delG です。第6回で扱ったアルコールの分解に関わる酵素では、アルコール脱水素酵素に G>A、E504K のSNPがあり、アルデヒド脱水素酵素には G>A、R48H のSNPがあることになります。
ヘモグロビンは赤血球に大量に含まれ、肺で酸素を吸着し、末梢組織へと運搬をしているタンパク質です。実験材料として容易に、しかも大量に手に入ることから 多くの研究がなされ、一昔前の教科書では、タンパク質といえばヘモグロビンの例が紹介されるというスター的存在でした。そのため、塩基配列の違いが疾患を引き 起こす例として初めて明らかになったのもヘモグロビンでした。
鎌状赤血球貧血症という病気があります。通常、赤血球は中央が窪んだ円形をしていますが、一部の人に、鎌形(三日月形)をしたものが見られます(図12.2)。この鎌状 赤 血 球は、柔軟性を欠くため、毛細血管などを通過できないことがあり、血流を遮断し、末梢組織に十分な酸素を供給できなくなり、貧血などの症状を引き起こします。
Hb A atg gtg cac ctg act cct gag gag aag tct gcc …. β鎖 M V H L T P E E K S A ….
Hb S atg gtg cac ctg act cct gtg gag aag tct gcc …. β鎖 M V H L T P V E K S A …. 1 6 10
図12.3 HbA と HbS の塩基配列とアミノ酸配列 A>T E6V
配列の最初の部分だけを示しています。なお、最初のMは合成した後切り取られるため、
アミノ酸配列の番号がついていません。
こうした、何らかの疾患を引き起こす遺伝子は進化の過程で淘汰されるのが一般的ですが、図12.4に示したように、アフリカを中心に1割程度の頻度を占め ていま す。 興味深いことに、HbSの分布とマラリアの発生地域が重なっており、実は、HbSをもつことがマラリア耐性に関連していることがわかっています。
マラリアを引き起こすマラリア原虫は、その生活環の一時期を宿主の赤血球内で過ごします。マラリア原虫は、宿主細胞のpHを少しですが低下させます。その た め、HbSをもつ赤血球は鎌状化します。これにより細胞膜のカルシウムイオンの透過性が増し、カルシウムイオンが細胞外へ放出されるため、細胞内のカルシウムイオン濃度 が下がり、マラリア原虫が死ぬということが起きるのです。
第6回の講義でアルコール脱水酵素とアルデヒド脱水素酵素が、東アジアでは、お酒に弱くなるように進化してきた話しをしました。もともと人類は、今のような飽 食の時代ではなく、飢餓への備えが不可欠な長い時代を過ごしていました。そこでは食料の備蓄は重要であり、そうした中でアルコール発酵するものもあったはずで す。そうすると、アルコールを上手に処理できる遺伝子をもつことは有利なはずです。しかし、稲作によって少しずつ食糧難が解消されるようになると、稲作に よる寄生 虫による疾患に対抗できる能力も重要となり、その拮抗が、現在の東アジアのお酒に関する遺伝子の分布をもたらしているのかもしれない、という仮説も、上記の鎌形赤血球の ケースが念頭にあって提案されているのでしょう。遺伝子の変異はそれだけを取り上げて 単純に有利・不 利といえるわけではなく、他の要因との関係の中で多型が生まれることがある、その一つのメカニズムを、こうした話題のなかに見ることができます。
優秀なスポーツ選手の運動の能力と関連しているとして2003年に報告され、話題になったSNPがあります。αアクチニン3(ACTN3)とよばれるタンパ ク質の遺伝子です。 αアクチニンはヒトの骨格筋に発現するタンパク質で、 αアクチニン2(ACTN2)とαアクチニン3(ACTN3)があります。αアクチニン2は全ての骨格筋線維に発現するのに対して、αアクチニン3は速筋線維(瞬発力に関 連する筋線維)にのみ発現しています。 ヒトにおいては、αアクチニン3遺伝子に C>T のSNPがあり、その結果、577番目のアミノ酸がR(アルギニン)からX(終止コドン)へと変化しています(R577X; 終止コドンをXで表記します)(図 12.5)。変異したαアクチニン3は、DNAから転写されたmRNAが翻訳される前に分解されると考えられており、XX 型ではαアクチニン3は生合成されず(すなわち、偽遺伝子となっています)、αアクチニン2が代償的に機能しています。
570 577 580 577R cag ttc aag gca aca ctg ccc gag gct gac cga gag cga ggt gcc atc atg Q F K A T L P E A D R E R G A I M
577X cag ttc aag gca aca ctg ccc gag gct gac tga gag cga ggt gcc atc atg Q F K A T L P E A D Stop
図12.5 αアクチニン3の遺伝子の多型 C>T R577X
図12.6を見てください。この研究はオーストラリアの研究者らが行ったもので、オーストラリア国内のスポーツ選手を6つのカテゴリーに分け、3種類の遺 伝子型 RR、RX、XX の頻度を調べています(RR、RX、XXはそれぞれSNPのCを2つもつ、CとTをもつ、Tを2つもつことを表します)。左の3つはパワー系のスポーツの選 手、右の3つは持久力系のスポーツの選手で、中央は比較のための一般の人たちのデータです。ここでパワー系のスポーツとは、短距離走(800m以下)、水泳短 距離(200m以下)、柔道、短距離自転車、スピードスケートなどを指し、持久力系のスポーツとは長距離走(500m以上)、水泳長距離(400m以上)、長 距離自転車、ボートなどの選手を指します。両端のカテゴリーはオリンピック選手、その一つ内側は国体級の女子選手、もう一つ内側が国体級の男女の選手です。
明らかにパワー系のトップ選手に遺伝子型がXXの選手(黒の棒グラフ)が少ないのが見てとれます。オリンピック選手、国体級の女子選手にはまったくいませ ん。 逆に、持久力系にXXが多いようにも見えますが、比較対照となる一般の人より顕著にXXが多いかと言えば微妙なところです。 αアクチニン3は速筋線維に発現しているという事実もこれらのデータを裏付けています。また、XX型はアフリカ系の人類では低頻度(< 1%)ですが、ヨーロッパ人 (~18%) ならびにアジア人(~25%) では比較的高頻度に認められます。陸上の短距離に日本人が向かないのは遺伝子のせい?という話になるわけですが、影響がないとはいえませんが、それだけで決まるわけでもな いというのが正しい言い方でしょう。
基礎代謝量に影響する肥満関連遺伝子は10種類以上あることが分かっています。肥満の原因は、遺伝3割、生活習慣7割といわれますが、日本人の体型に特に 関係していると言われる3つの遺伝子とそのSNPを紹介します。ただ、まだそのメカニズムについてはわからないことが多いので、列記するだけにとどめます。遺 伝子検査をすると、この程度の情報が得られるという典型例でもあります。
《リンゴ型》肥満 β3アドレナリン受容体遺伝子(β3AR)の W64R 変異体保持者
・日本人の34%が保有し、基礎代謝が1日200kcal低い ・お腹周りが太っており、糖質の代謝が悪い ・糖尿病、高脂血症、脂肪肝に注意
《洋ナシ型》肥満 脱共役タンパク質1遺伝子(UCP-1)の M229L 変異体保持者
・日本人の25%が保有し、基礎代謝が1日100kcal低い ・下半身が太っており、脂肪の代謝が悪く、
痩せにくい ・がん、女性は子宮関係の病気に要注意
《バナナ型》肥満 β2アドレナリン受容体遺伝子(β2AR)のR16G 変異体保持者
・日本人の16%が保有し、基礎代謝が1日200kcal高い逆肥満遺伝子 ・ほっそりとしており、筋肉が
つきにくい。一度太ると痩せにくい ・心臓病、うつ病、低血圧などに注意
これまで紹介したSNPとは異なるタイプの遺伝子多型を紹介します。神経伝達物質のドーパミンの受容体タンパク質です。遺伝子の塩基配列を図 12.7に示しました。 図12.7のアミノ酸配列のなかで彩色した112個のアミノ酸からなる領域は、よくよく見ると16個の配列(塩基配列では48個の塩基)が7回繰り返されています。 ただし、正確に同じ配列ではなく、多少異なってはいます。実は、この繰り返し回数が人によって異なり、また民族によりその回数の頻度分布に違いがあることが知 られています。このように、DNAのなかには、部分的に繰り返される領域があちらこちらにあり、その繰り返し回数に個人差がある場合 VNTR (variable number of tandem repeat) とよばれます。繰り返し回数の多型は検査が容易なため、DNA鑑定で個人を特定するときなどにも利用されています。
1 MGNRSTADAD GLLAGRGPAA GASAGASAGL AGQGAAALVG GVLLIGAVLA GNSLVCVSVA61 TERALQTPTN SFIVSLAAAD LLLALLVLPL FVYSEVQGGA WLLSPRLCDA LMAMDVMLCT
121 ASIFNLCAIS VDRFVAVAVP LRYNRQGGSR RQLLLIGATW LLSAAVAAPV LCGLNDVRGR
181 DPAVCRLEDR DYVVYSSVCS FFLPCPLMLL LYWATFRGLQ RWEVARRAKL HGRAPRRPSG
241 PGPPSPTPPA PRLPQDPCGP DCAPPAPGLP RGPCGPDCAP AAPGLPPDPC GPDCAPPAPG
301 LPQDPCGPDC APPAPGLPRG PCGPDCAPPA PGLPQDPCGP DCAPPAPGLP PDPCGSNCAP
361 PDAVRAAALP PQTPPQTRRR RRAKITGRER KAMRVLPVVV GAFLLCWTPF FVVHITQALC
421 PACSVPPRLV SAVTWLGYVN SALNPVIYTV FNAEFRNVFR KALRACC
図12.7 ドーパミン受容体D4のアミノ酸配列
見やすいようにアミノ酸10個ごとに空白を挿入している。
ドーパミン受容体D4は細胞膜にあり、図12.7の繰り返し部分はその前後の細胞膜貫通部分を繋ぐ領域で、細胞質内にあります。16個のアミノ酸からなる 配列 の繰り 返し ですが、図12.7では7回の繰り返しの例が示されています。7回繰り返しはアメリカなどでは非常に多いのですが、東アジアでは極端に少なく、ほとんどが4回以下の 繰り返しであることが知られています。そしてこの違いが国民性の違いを生み出しているという研究があり、しばしば話題となる遺伝子の多型です。
こうした「性格」を決めている遺伝子という話題はこれ以外にもあり(注)、多くの人の関心を引いています。しかしその信憑性についてはまだまだ信頼性に欠け ると私は思っているのですが、専門家の見解を以下に引用しておきます。
日本人は新奇追求性に欠けると言われています。脳科学の知見によれば、 ドーパミンD4遺伝子が長いほど、新奇追求性が高くなります。そして、長いD4受容体の人は欧米人の50%以上に対し、日本人では数%しかいません。新奇性探索にはドーパ ミン、損害回避にはセロトニン、報酬依存にはノルアドレナリンが、それぞれの気質を特徴づける神経伝達物質であるという仮説を提唱していますが、これは日本で も一般にずいぶん普及しているようです。
しかしながら、この仮説はそれなりの生物学的な証拠にもとづいてはいるものの、かなり大雑把なもので、ことを単純化しすぎているということが近年明らかに なってきています。 〜中略〜
さらにいえば、ドーパミンD4受容体のrs1800955 (注:繰り返し多型に付けられたコード番号)が新奇性探索の気質を説明する割合もたかだか3%で、他の分子をコードする遺伝子の影響を足したものの影響力の方がはるかに高 いのです。
〜中略〜 ですから、「ドーパミンタイプの性格」とか「セロトニンが少ないタイプの人」というような表現は、あまり科学的とはいえません。 『「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか』(2011) NHK出版
(注) セロトニントランスポータというタンパク質にはS型とL型があり、その頻度に地域差があります。そして、S型はL型と比べ不安傾向が強いとか、S型の 割合が高い社会ほど集団主義傾向が高く、L型の割合が高いほど個人主義傾向が高いなどの議論もなされています。ちなみに、東アジアではS型が70〜80%を占 め、ヨーロッパでは40〜45%とされています。
遺伝子と形質は血液型のように1対1に対応しているものもありますが、ひとつの形質に複数の遺伝子が関与する場合も数多くあります。これらは多因子性形質 とよ ばれます。身長などはその典型例としてあげられますが、性格などといったものも1つの遺伝子で決まるはずがありません。しかし、遺伝子が性格にまったく関与し ないかと問われれば、関与していることもおそらく確かです。問題はどの程度関与しているかです。遺伝子検査がより身近なものになると、自分のもつSNPが明ら か となり、そのSNPと遺伝形質の対応が語られるようになります。そうなったとき、遺伝子がその形質に関与しているということと、その形質を決定しているという ことは違うということにわれわれは常に注意を払うことが必要ですし、それを皆が共通の認識としてもつことが重要となるでしょう。