エントロピー・多様性・複雑系

第11回 循環

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 生命とエントロピーの関係を理解するためには、非平衡開放系で低エントロピーの資源やエネルギーを取り入れ、高エントロピーの物質やエネルギーを排出する ことが必要条件であることを前回の講義では学びました。しかし、十分条件ではありません。他にはどのような条件が必要なのでしょうか。これに答えるためにはま だ今後の研究成果に期待しなければならない状況ですが、「循環」が1つの重要なキーワードであることは確かです。そこで今回は、循環について見ていきたいと思 います。

11.1 循環型社会

 前回の講義内容を整理しながら、今回のテーマである循環について見ていくために、エントロピー学会のホームページに提示された「循環型社会を実現するための 20の視点」から、冒頭にある5つの視点を引用したいと思い ます。  https://entropy.ac/publication/publication-230/  (外部リンク)

1. 地球上の生命と人類社会のあり方を理解する鍵こそエントロピーです。

 エントロピーとは、物質とエネルギーとをひとまとめにした拡散の度合の定量的な指標です。熱エネルギーがひとりでに伝わるのは高温の所から低温の所へで あっ て、低温から高温への熱の移動は、電力などの消費を必要とします。その電力は、たとえば高温から低温への熱の移動なしには起こせません。物質は高濃度の場所か ら低濃度の場所へと拡散します。物質を濃縮するには仕事をしなければなりません。たとえば海水から真水を作るには、物理的・化学的な分離の仕事が必要となりま す。

 物質とエネルギーをひとまとめにして、自然界(物質の世界)の変化は拡散の度合が増す方向に起こる、ということを表現したのが「エントロピー増大の法則」で す。物質やエネルギーは、社会的生産・消費の場において、外部での何らかの変化を伴わない限り(つまり,外からの目的意識的な働きかけのない限り)利用可能な 状態から利用できない状態になってしまいます。その意味で、エントロピーは劣化の度合の指標ともいえます。

2. 生命系の特徴はその定常性にあります。

 「エントロピー増大の法則」の存在にもかかわらず生命系がエントロピーを一定に保って生きていられるのは、エントロピーを捨てる過程 があり、そのエントロピーを受け取る環境が定常的に存在するからです。

 生命系に低エントロピーの物質・エネルギーを供給し、高エントロピーの物質・エネルギーを受け取る外界が環境です。もし環境が閉じていれば、生命系との相 互作 用の結果、環境のエントロピーが増大し、生命系に対して環境としての役割を果たしえなくなります。環境が環境として機能しうるためには、環境のエントロピーを 受け取る「環境の環境」が必要です。実際、地球には階層的多重構造を持った環境があるため、生命が長期間存続してきたのです。

 その多重構造のそれぞれのレベルにおいて、その内側を生命系(生きた系)、その外側を環境と見なすことができます。外側の環境は内側の生命系より大きく、 従って一般的には変化は遅いのですが、環境の変化が速くなると生命系はそれについてゆけず、存在が危うくなります。その意味で環境は定常的でなければなりませ ん。

 

図11.1 環境が環境として機能しうるためには、環境のエントロピーを受け取る「環境の環境」 が必要で、
階層構造となっています。一番外側の環境は宇宙空間で、宇宙空間を包む環境はありませんが、われわれは
その容量の無限ともいえる大きさの恩恵に浴して生きていると言えます。右図は、左図の緑色の部分を拡大
したもので す。なお、この図は学会ホームページからの引用ではなく、上記の内容の参考になるだろうと
思い、槌田敦著 『エントロピーとエコロジー』 を参考に作成したものです。

 
3. 地球上の生命と人類社会が存続するためには、広汎な共生の体系(生態系)が、物質の循環によって、発生したエントロピーを最終的には宇宙空間への熱放射という形で廃棄でき なければなりません。

 地球上の生命と人類社会の存続を根底で支えているのは、太陽からの低エントロピーのエネルギー(太陽光)の供給と、宇宙空間への熱放射という高エントロ ピーの エネルギーの廃棄です。植物はこの低エントロピーのエネルギーを高エネルギーの低エントロピー物質(炭水化物)に変え(光合成)、動物に提供しています。動物 はその高エネルギー・低エントロピー物質と酸素を消費して、二酸化炭素として排出し、植物が再び利用できる形に変えます。どちらの過程でも、発生するエントロ ピーを生命系外に廃棄するのに、またそれを宇宙空間に熱放射できるところに運ぶのに、低エネルギーの低エントロピー物質である水が必要です。

4. 生態系とは,高エネルギー・低エントロピー物質の利用の連鎖によって循環的に連なった、広汎な共生の体系といえます。循環(物質循環と状態循環)が生態系の維持にとって基 本的に重要となります。

 生命・環境系のそれぞれのレベルにおけるエントロピー廃棄の過程を担うのが、循環です。生命系の状態は一定不変ではなく、昼夜・季節といった太陽の運行に由 来する状態の循環によってその定常性を保っています。状態が循環するためには、物質が循環しなければなりません。光合成によって植物が固定した炭素が、さまざ まな過程を経て、二酸化炭素になって戻るように。

5. 自然の循環と生命系の活動・多様なあり方とを壊すような人間の活動は、きびしく制限されなくてはなりません。

 自然の循環が生命系の活動とその多様なあり方を支え、生命系の活動とその多様なあり方が自然の循環を支えています。生命はその発生以来、数十億年にわたる その 潜在的多様性の展開・実現の結果,現在のような多様なあり方を示すに至っているのです。その長い過程には、次の3つの条件が基盤にありました。(1) 原子核の 基本的安定性、(2) 生命起源の有機物の安定性、 (3) 細胞核(遺伝子)の基本的安定性。人間の社会的営為の中でこの3条件が損なわれてきた状況が、今日の環境問題・公害問題の根底にあります。
         [以下省略]

 エントロピー学会のホームページからの引用はここまでにします。循環の重要性が指摘されたところで、自然界にみられる循環現象の具体例を次に見てみましょう。

11.2 太陽からのエネルギーの収支と水の循環

 太陽からの低エントロピーの光のエネルギーを100とし、それがその後どのような経過をたどるのか見てみましょう。まず、30はそのまま大気圏に突入するところで反射し て宇宙空間へと戻っていきます(図11.2参照)。また、23は大気によって吸収 され、地表が直接受ける日射量は残りの47となります。しかし地表が得る熱量はこれだけではなく、大気からの温室効果96がこれに加算されます。したがって、 地表を温めているのは、直射日光というよりも、むしろ空気が暖まった結果の間接的な効果が大きいのです。

図11.2 太陽エネルギーの収支と水の循環

 地表に降り注いだ 47 + 96 = 143 のエネルギーは、水の蒸発により気化熱を奪われ(24)、熱伝導により空気を暖め(6)、そして熱放射(113)によって放出されてしまいます(定常状態にあると き、流入と流出は等しくなり、24 + 6 + 113 = 143であることに注意)。熱放射は6だけが宇宙空間へ直接放射されますが、107は再び大気に吸収されます。こうして大気は、太陽光によって直接暖められた23と地表か らの137、合わせて160の熱量を吸収し、64は宇宙空間へと熱放射され、残り96が再び地表へと放射されることになります。この後者が温室効果とよばれる ものです。温室効果がなければ地球は凍りついた天体となります。温室効果の恩恵を受けて、われわれは生存可能となっているわけですが、宇宙空間への放出と温室 効果のバランスが崩れ、温室効果の影響が強まると多くの問題が発生してくるわけです。

 一方、水の動きにも注目してみましょう。地表で温められた水蒸気を含んだ空気は上昇し、断熱膨張によって温度が下がり、結氷し、雲を形成します。これはやがて 雨または雪として地表に戻ってきます。冷たい空気もまた降下してきます。そして再び地表の熱を奪って、大気上空へと帰っていきます。これが、水循環であり、対 流とよばれるものです。水は地表で熱を奪うことで地表のエントロピーを奪い、上空で長波長(赤外線)輻射によってそのエントロピーを宇宙空間へと排出している のです。

(注) 温暖化は、二酸化炭素などの温室効果ガスが、地表から放出された赤外線の一部を吸収し、再び地表へと放射し返す割合が増えるために起こります。われわれの体も、運動や仕事 で 体を動かしたときには、汗をかいたり(気化熱)、体表面の温度と周りの空気との温度差で熱を外部へ逃がすこと(熱放散)によって体温を調節しているのですが、 気温が高くなって体温との温度差が小さくなり、湿度が高くなって汗が気化する量が減って、気化熱による熱の放散ができなくなると、熱中症に陥ります。温暖化も 熱中症も、エントロピーを捨てることができなくなって起こる現象といえます。

11.3 生態系における物質循環

 炭素や窒素などを含む物質はその形を変えながら生態系内を循環しており、その総量は生態系内で常にほぼ一定となっています。一方、エネルギーは生態系内で循環 しません。詳しく見ていきましょう。

図11.3 生態系における物質循環とエネルギーの流れ

 @ 炭素循環:生物の体を構成している主な物質には、DNA、タンパク質、炭水化物などがありますが、これらはすべて炭素を主体とした炭素化合物です。植物 は、光合成により大気中の二酸化炭素から炭水化物を合成し、それを食べることで炭素は動物へと移動します。また、植物や動物の呼吸により大気中に二酸化炭素と して排出されます。つまり、炭素は、大気から植物、動物、大気という順に循環しているのです。一方、炭素を含んだ動物の遺体や排出物、枯れ葉などは、土壌中の 細菌類や菌類によって分解され、二酸化炭素として大気中に放出されます。ここにも炭素の循環が存在します。

 A 窒素循環:生物の体を構成するタンパク質やDNAには窒素も含まれています。窒素も生態系の中を循環しますが、炭素とは経路が異なります。大気中には約 78%もの窒素が含まれていますが、植物はこれを直接取り込むことができません。アンモニウム塩(NH4+)や 硝酸塩(NO3)として窒素を取り込む必要が あります。これらの物質は、動物の遺体や排出物、枯れ葉などを細菌類が分解することでつくられます。特に、アンモニウム塩を硝酸塩に変換する細菌類を「硝化細 菌」といいますが、彼らの作用により土壌中には硝酸塩が多い状態となっています。窒素は、生産者、消費者、分解者へと移動し、再び生産者に戻り、生態系の中を 循環しています。実は、大気中の窒素を直接利用できる細菌類も土壌にいることはいるのです。イシクラゲというシアノバクテリアの仲間や、マメ科の植物の根に共 生する根粒菌です。これとは逆に、土壌中の硝酸塩を気体の窒素に変える細菌類もいます。こうしたさまざまな方法で、窒素も生態系の中で循環しています。

 B エネルギーの流れ:生物の生命活動に必要なエネルギーのおおもとは太陽光のエネルギーです。この太陽光エネルギーを、植物が光合成により化学エネルギー (物質がもつエネルギー)に変換します。その後、食物連鎖のネットワークを通して化学エネルギーはさまざまな生物の間を次々に渡されていきます。そして、最終 的には、化学エネルギーは遺体や排出物、枯れ葉などを経由して、細菌などの分解者へと移動します。そして、この全過程において、少しずつ生物から「熱エネル ギー」が体外に放出され、生態系の外へ出て、最終的には宇宙空間へと排出されます。したがってエネルギーは生態系内を循環せず、太陽→生態系→宇宙空間と一方 向に流れていきます。すなわち、太陽から常に低エントロピーの光エネルギーの供給を受けながら、生態系で発生したエントロピーを赤外線という高エントロピーの エネルギーの形で絶えず宇宙空間に捨て続けているのです。
  (注) 熱と赤外線の関係は、第3回講義資料の「3.4 熱の伝わり方 (3) 輻射」を参照してください。

 C 水の循環:上で述べたように、水は、地面、川面、海面などから蒸発によって空気中に拡散し、上空で雲を形成、雨や雪となって再び地表に降り注ぎ、地面に浸透したり、川とな り、海へと注いでいきます。この循環のエネルギー源は太陽エネルギーと地球の重力で、そのサイクルが繰り返されています。この水の循環は、地表で発生した熱 (エントロピー)を上空へと運び、輻射によって宇宙空間へ排出するという重要な役割を担っています。

11.4 血液循環

 われわれの細胞は、血管(動脈)を流れる血液から栄養素などの低エントロピー物質および酸素(これは炭水化物を低エントロピー物質として機能させるのに必要で す)を取り入れ、老廃物・二酸化炭素(いずれも高エントロピー物質)および生命作用の過程で発生した熱を血管(静脈)中に排出します。これら血液中の高エント ロピー物質は、汗腺・肺・腎臓等において血液から取り去られ、さらに汗・呼気・尿として体外に排出されます。血液は、肺や肝臓から細胞に供給すべき必要な物質 を受け取り、それらを細胞に運んでおり、個体維持に必要な生命的営為に血液のこのような循環過程が関与しています。循環することによって、有限の血液量で、無 限の物質を運ぶことができるともいえます。現実には、運搬用血液も消耗されますので、その補給・再生が必要ではあります。

11.5 負のフィードバック機構

 ワットが蒸気機関を発明したとき、ピストンの往復運動を回転運動に変換するシステムも開発したことは以前にお話ししましたが、もう一つ、その回転運動が一定 となるような遠心調速機も発明しています。図11.4に示すように、遠心調速機は、回転する軸の回りのおもりが遠心力により外に振れることを利用しています。 出力があ がり回転が速くなるとおもりは遠心力により外へと振れるようになります。このとき、その動きに呼応してシリンダーへと蒸気を導くバルブが閉じる方向に動くよう な仕組みを作りました。逆に回転が遅くなるとおもりの振れが小さくなり、それがバルブを開くように働き、出力を上げます。こうして、出力を自動的にチェックし ながら、 出力が上がれば下げる方向に、下がれば上がる方向に入力に働きかけることで、機関の出力を一定に保ちます。これが負のフィードバックとよばれる機構の先駆けと なりました。

図11.4 ワットの調速機とフィードバック機構
図の出典:調速機 @Wikipedia

 負のフィードバック機構は、こうした機械に応用されているだけでなく、生体内でもさまざまなところで見ることができます。血圧調整、血糖値調整などがよく知 られていますが、生体の恒常性(定常状態)を保つために欠かすことのできないものです。そして、こうした恒常性の維持は、エントロピー産生を最小限に抑える上で も重要となります。

 図11.4の下では、出力で観測されたデータが入力へと直接フィードバックされている最も簡単な例を図示していますが、実際の系では、多くの要素がネットワークを構成 し、さまざまな経路を経て入力へとフィードバックされてきます。したがって、それが系の恒常性へと寄与するか否かは、ときには判断が難しくなります。とりわ け、出力が上がればますます出力が上がるように作用することも起こる可能性があり(これは正のフィードバックとよばれます)、そうした場合には、系は暴走し、 カオス状態となって、エントロピーも爆発的に増大することになります。身近な例としては、マイクをスピーカーに近づけると発生するハウリングがあります。マイ ク が雑音を拾い、スピーカーがそれを増幅して出力し、その音を再びマイクが拾い、それが増幅されてスピーカーから出力されるという繰り返しで、不快なキーンとい う音になります。点火から一気にガスのような気化した可燃物が燃焼する、あるいは爆発するのも正のフィードバック機構による現象です。

 ところで、ある事象に正のフィードバック機構が働いているのか、負のフィードバック機構が働いているのか判断が難しいものもあります。たとえば、温室効果ガ スである二酸化炭素CO2による温暖化については、負のフィードバックが効いて問題ないとする説と、正のフィードバックが効いてますま す温暖化が加速されるという説が唱えられています(図11.5参照)。負のフィードバック説では、CO2の増加による温暖化は光合成 を増加させるため、よりCO2が消費され、今度はCO2の消費による気温降下が光合成を減少させてCO2の 消費が減るためCO2の増加に転じるというサイクルで恒常性が保たれると主張します。一方、正のフィード バック説は、温暖化による気温上昇は、極地の氷雪の融解や海水温の上昇などを引き起こし、それがさらなるCO2の増加へと結びつき、 温暖化を加速されると主張します。


図11.5 CO2に関する負のフィードバック説(左)と正のフィードバック説(右)

 また、1960年代、ラブロックによって提唱されたガイア仮説では、「過去、現在、そして間違いなく未来においても、地球生命は生命の各種の許容範囲や要求 から決定される特定の範囲内に外的環境を保つような仕方で影響を与えて、地球の住みやすさを維持する効果を持つ」として、地球がまるでひとつの生き物のように 自己調節システムを備える、すなわち地球生態系は自然と負のフィードバック機構をもつという楽観論を唱え、多くの人の心を掴みました。しかしこれに対して 2010年、ウォードは、その著『地球生命は自滅するのか?』で、メデア仮説として、「地球の居住可能性は生命の存在によって影響されるが、生命の全体としての効 果は今までもこれからも、居住可能な惑星としての地球の寿命を減少させる。生命自体が本質的にダーウィン的であることから、それは殺生命的 biocidal、 自殺的な性質を有し、後の世代に害を与える一連の正のフィードバックを地球システムにもたらす」と述べ、正のフィードバック機構による地球の生態系の破滅を警 告しています。

 CO2による温暖化にしろ、ガイア仮説 vs メデア仮説にしろ、どちらが正しいかは現時点では誰も判断できません。地球規模の複雑なネットワークの中で、エン トロピーの発生をどのようにしたら抑制できるのか、その方法を見出すことは現在の自然科学にとってはきわめて困難な状況にあることは確かです。

 循環は、さまざまな状態を遷移した後、元の状態にリセットする作用をもちます。しかし、状態遷移するなかで必ずエントロピーが発生しますから、リセットする ためには何らかの方法で発生したエントロピーを捨てる必要があります。上記で掲げたいくつかの循環過程においては、そうしたエントロピーを捨てるという過程が 含まれていることが確認できました。そうして循環過程が順調に動いている限り、定常状態を保ち、秩序と構造が維持されると言えそうです。

 しかし、人間が作り出した人工物の中には、その循環を遮断してしまうものがあります。その典型例がいま問題となっているプラスチックでしょうか。また、原子力発電所から 排出される、いわゆる核のゴミの捨て場探しに、いまだに苦労している実態もあります。エネルギーの供 給だけがわれわれの文明を維持し、進歩させるという考えから早く脱し、エントロピーを捨てることの必然性を認識することが必要であることを、この講義を受けた 皆さんが少しでも理解していただけるようになっていることを切に期待したいところです。

⇒ 第12回 多様性の創出と選択機 構